【コメントから読み解く】香川真司が愛される理由と移籍の行方
→いささかこのタイトルを決めるのに10回ほど手直ししてしまった。
ここ数日サラゴサ所属、香川真司の移籍に関する情報やニュースが飛び交っている。
ボクも気になるのでヤフーやグーグルで目を通すのだが、
かならずやっていることがもう一つある。
それは、
そのニュースのコメント欄を毎回チェックすることだ。
なぜなら、コメント欄にはファンからの本音が存在すると思うから。
それほど興味のない人はあえてコメントはしない。
香川真司を支持、応援するからこそコメントする。そう思ったからだ。
香川真司に贈られるファンのコメントは・・・
✅コメント欄から見えてくる本音とは・・・
【ファンからのコメント】抜粋は以下の通り↓↓↓↓↓
「ドルトムントに帰ってきてほしい」
「Jリーグ復帰はどうか?」
「スペイン2部にいるよりも他の国の1部でやったほうがいいんじゃないか?」
「スペインでプレーすることにこだわってもいい!」
など様々な意見が交わされていた。
ボクが見てきたコメント欄はおおむね香川真司を応援する内容だ。
現在の報道では、サラゴサと契約を解除し他クラブのオファーを待つとされている。
香川真司が希望するとされるスペインでの移籍が難しい状況。
その状況下にあって香川に対するコメントはどれも温かく、
「もう一花咲かせてほしい」と背中を押す期待に溢れているように感じるのは
ボクだけではないはずだ。
なにを隠そうボク自身は香川真司のファンだし、一サッカーファンとしてずっと香川真司と日本代表に夢を見させてもらった。ワールドカップロシア大会でのPK戦もそうだった。
「ゴールを決めた直後のガッツポーズ。」
やはり「日本代表の10番は俺だ!」と言わんばかりの自信に満ちていた。
それを見てテレビの前で「よっしゃー!」と大きく手を叩いたファンは数多くいただろう。
香川真司が今まで日本のサッカー界にもたらした功績と衝撃は、どのプレーヤーよりも大きいと確信している。
今まで数多くのサムライたちが海外に渡りチャレンジを重ねてきた。
古くはブンデスリーガプロ第一号の奥寺康彦に始まり、
1994年三浦知良がアジア初のセリエAプレーヤーとなった。
中田英寿はトッティとレギュラーを争い、ローマでスクデットを獲得もした。
本田圭佑はミランの10番を背負った初の日本人選手にもなった。
中村俊輔はセルティックでずっと語り継がれる伝説のプレーヤーになった。
こうして数多くの選手が海外へ移籍し、良いも悪いも経験し結果を残してきてくれた。
カズがセリエAに移籍してくれたことで、日本人がヨーロッパリーグに移籍する選択肢が増えたのは間違いない。
そしてカズは現在、53歳6か月でJリーグ出場というレジェンドを打ち立てた。偉大過ぎる記憶と記録に残る選手である。
香川真司がファンから愛される理由とはなにか?
Jリーグ開幕と香川真司
ボクはJリーグ開幕からサッカーを見続けてきた。
サッカーがプロ化して一番感動したことは、テレビでサッカー中継をしてくれることだった。
日本リーグ時代(プロ化前)は天皇杯やカップ戦やワールドカップ予選や高校サッカーしかテレビで見れなかったのだ。
そしてカズ、ラモス、北澤ら花形プレーヤーがテレビの中で大活躍する姿に興奮していたのがボクだった。
それからもリトバルスキー、ストイコビッチ、ドゥンガら一線級の外国人選手のスキルの高さに圧倒された。
1989年生まれの香川真司は、1993年Jリーグ開幕年は4歳のころだった。
そして幼稚園からサッカーを始めている。
「アルシンドはあたりまえ~」というワードを知っているだろうか?
鹿島アントラーズのブラジル出身選手でスター選手が続々と生まれていった。
日本代表においてはドーハの悲劇でワールドカップ出場を逃し日本中が悔しい思いをしたころだっだ。
そのころ香川真司は地元兵庫のクラブでサッカーを続け、中学に上がるタイミングで
FCみやぎバルセロナへサッカー留学をしたのだった。
そこで頭角を現したサッカー少年は高校2年時にセレッソ大阪と契約することになった。セレッソは若手育成に力を入れているクラブでその手腕には定評があった。そして香川の故郷兵庫から近いこともセレッソを選んだ理由とされている。
セレッソ大阪で2006-2010年の4年間を過ごした。クルピ監督に見いだされた香川真司は徐々に結果を出していった。2009~2010シーズンにはリーグ戦で27ゴールを挙げJ2得点王に輝き、海外への切符を手繰りよせたのだった。
そのクラブはドイツ・ブンデスリーガ、ボルシア・ドルトムント。
育成補償金約4000万で移籍することになったのだった。
ドルトムントで覚醒した香川真司
香川真司はドルトムントで覚醒した。セレッソ大阪時代の得点能力の評価は高かったが、日本での香川真司の知名度はそれほど高いものではなかった。
なにせボク自身もJリーグ時代の香川の活躍はそんなに覚えていない。
スポーツ紙の一面になれば知らず知らずのうちに気付くはずなのだろうが、あまり覚えていないのはボクの勉強不足だったのかもしれない。今思えば大変申し訳ない。
「ドルトムントにすごい選手がいるらしい。」
ボクは連日スポーツニュースで取り上げられる香川真司のゴールしたシーンにあっという間に虜になってしまった。
当時のプレーの質と切れ味はどれをとっても抜群だった。
パス、シュート、相手の裏に抜けるスピード、ボールのもらい方、シュートまでのボールの持っていき方、すべてが群を抜いていた。
当時のチームメイトにはのちにバイエルンミュンヘンに移籍するゲッツェなど香川と同じく伸び盛りの若手がたくさんいた。
2010~2012年ドルトムントは初のリーグ2連覇をはたすことになる。
当時の指揮官は、現リバプール監督のユルゲン・クロップである。
クロップ監督はたくみに選手の懐に飛び込む人心掌握とその戦術・人間性をもってチームを強固なものにしてしまう。まるで魔法使いのような監督だった。
「この人のためならやってやる!」と思わせるのがクロップ監督であり、トップをプレーヤーであってもそう思わせる懐の深さを兼ね備えていた。まさに名将だ。
マンチェスターユナイテッドでの香川真司
ドルトムントの栄光のままに移籍したのはイングランド・プレミアリーグのマンチェスターユナイテッドだった。
間違いなくだれもが知ってる世界ナンバーワンクラブだ。
「香川がマンチェスターに行く!」
そのニュースは日本中に広まり、サッカーファンの心を鷲掴みにした。なにせ日本人がサッカーの本場、それもマンチェスターユナイテッド入団なんて考えられなかったからだ。マンチェスターユナイテッドと言えば、デイビッドベッカムらスター中のスターしか入れないクラブだったからだ。
しかし香川の試練はここからだった。トップチームにはつきものだがなかなかレギュラーが奪えない。たまに得た出場機会でゴールを挙げるものの厳しい状況は続いた。
マンチェスターユナイテッドはプレミアリーグを制覇し、香川自身3期連続ヨーロッパリーグ制覇の偉業を達成した。
しかし監督交代や怪我にも悩まされ満足いく結果を得られないまま
マンチェスターユナイテッドを離れることとなった。
第2期ドルトムント時代~ベシュタクシュ~サラゴサ
再びドルトムントに戻った香川真司。
一時はその輝きを取り戻したが相次ぐ監督交代による戦術の変化や怪我の影響もあってトルコのベシュタクシュへレンタル移籍することになる。
移籍直後の試合では、途中出場からわずか数分の間で2得点を挙げる活躍をみせたが、3カ月でチームを離れることになった。
そして兼ねてから念願だったスペインリーグ・サラゴサに加入した。
香川真司、移籍の行方はいかに?
2020年9月28日現在、香川真司の移籍先はまだ分かっていない。
様々な憶測が飛びかっているが、本当のところは香川本人の胸にしかないのは分かっている。
日本代表のエースたるゆえんだろうか、その一挙手一投足に注目が集まる。
裏を返せばそれは期待の表れでもある。海外で活躍する若手選手が続々と現われている。久保建英、南野拓実、中島翔哉、鎌田大地・・・
それでもなお香川真司のニュースが気になる。
そして香川真司に期待をしているボクがいる。
年齢は31歳。「まだやれる!」
どこのクラブに移籍しようとも香川真司の活躍を自身と重ね合わせ勇気をもらっている人がたくさんいるのだ。酸いも甘いも経験してもう一度香川真司が輝ける舞台を待っているのだ。そのプレーも華麗で魅力的だが、同時に人間味が伝わってくるプレーヤーであることに間違いはない。
ファンからこんなにも愛されるプレーヤー香川真司、
そのコメント一つひとつにファンの期待が詰まっている。
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