三浦知良(カズ)、ボクがサッカーをはじめずっと憧れている人。
ボクがJリーガーを目指したころからカズはもうすでにスターだった。そしてボクがサッカー選手になれなかった今もカズは現役プレーヤーだ。53歳6か月、
単身ブラジルに渡ったのが15歳。
カズはもう40年近く職業:プロサッカー選手をやっていることになる。
はじめてカズと出会った日
2020年8月のカズはまだ生き生きしている
ボクがカズをはじめて見たのは確かJリーグの開幕前、読売クラブのころだった。
日本リーグ時代、国立競技場の観客はまばらで、スカスカな感じだった。
読売クラブ(ヴェルディ)、古川電工(ジェフ)、日産(マリノス)などが戦っていた。といっても中継はほとんどなかったから、スタジアムに行くしか見る方法は無かった。
当時の日本はまだワールドカップにも出場経験もない国。サッカーより野球が根強い人気を誇っていた。
小学校4年からサッカーを始めたボクはカズのプレーに魅了され、またぎフェイントやカズダンスを真似していた。キャプテン翼にも影響されまくって砂場でオーバーヘッドキックの練習もよくやっていた。
夜19時からは巨人戦。野球の試合中継は毎日やっていたけど、サッカー中継はほとんど無かった。
だからカラーページのサッカー選手名鑑なんて買って、ボロボロになるまで選手の名前やプロフィールをおぼえた記憶が残っている。
その本には三浦知良のページがあった。カラーで大きく他の選手より大きく取り上げられていた。ブラジル帰りのスター選手が日本に凱旋したみたいなことが書かれていた。ブラジルの名門サントス(サッカーの神様・ペレがいたチーム)から来た選手で、おそらく日本人ではじめてサントスみたいなビッグクラブでプロになった人なんだと知った。
Jリーグ開幕
確かカズは23歳で日本に帰国、Jリーグは1993年に開幕した。
ボクは中学生だった。
なにが嬉しかったかって、サッカーが毎週テレビで見れることだ。
それが何よりうれしかった。そしてテレビで見たプレーを翌日の練習でマネしてできるようになる。これがボクのささやかな喜びだったんだ。
もちろんカズのプレーは光っていた。
というか真似したくなるプレーをする選手だった。
マタギフェイント(シザーズドリブル)やカズダンス、切り返し・・・
見ていて「早くやってみたい!」と思ったサッカーキッズはメッチャいたと思う。
読売クラブは名称を読売ヴェルディ→ヴェルディ川崎に変え、カズは背番号11をつけてピッチで大活躍していた。ヴェルディ川崎にはカズのほかに武田、ラモス、北澤、柱谷、菊池新吉、など有名選手が所属していた。
ヴェルディは強かった。確か武田がゴールを量産していた。カズも魅せるプレーでファンの心をつかんで離さなかった。Jリーグが開幕してすぐさま日本列島はサッカーブームに沸いた。そしてサッカーブームが盛り上がった次にはワールドカップ出場という夢があった。ボクは予選からテレビにくぎ付けになって正座で観ていた。
ドーハの悲劇
日本代表の監督は加茂監督だったと思う。当時のメンバーはカズ、武田、中山、ラモス、井原、森保(現日本代表監督)、柱谷、都並(現サッカー解説者)、松永・・・今でもすぐに選手の名前がスラスラ出てくる。アジアの壁、高木もいた。
日本はカズの活躍もあって最終のイラク戦にワールドカップ出場をかけていた。そしてロスタイム、イラクのコーナーキックはショートコーナーだった。カズはシュートフェイントで交わされセンタリング、そのボールはヘディングで日本のゴールに吸い込まれていった。日本はわずかのところでワールドカップ出場を逃してしまった。
終了ホイッスル直後ピッチに倒れこむ選手の姿は今でも胸に残っている。
カズはアジア初のセリエAプレーヤーになった
カズはワールドカップ予選を終え世界最高峰のイタリアセリエAへ渡った。アジアで初のセリエAプレーヤーの誕生だった。ジェノアの開幕戦はACミラン。対するディフェンダーはフランコバレージ。カズはプレー中にバレージと激突し骨折、しばらく戦線離脱を余儀なくされた。もちろんボクはフジテレビの深夜、画面にくぎ付けになっていた。あのときの興奮は忘れられない。
そして復帰後カズはアジア人初のゴールを挙げ世界のリーグで日本人が挑戦できる道を創ってくれた。それは中田英寿、中村俊輔、松井大輔、小野伸二、本田圭佑、香川真司、長友佑都、長谷部誠、酒井宏樹、久保建英、南野拓実・・・の歩んできた道をみても分かるだろう。
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イタリアでの挑戦から1年、カズはヴェルディに復帰し再び海外へ移籍した。クロアチアのザグレブではリーグ優勝を果たした。
カズがキングと言われるたった2つの理由とは?
京都サンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCとクラブを渡り、リトバルスキーが監督を務めるオーストラリアリーグ、シドニーFCに移籍。創設したばかりのAリーグのゲストプレーヤーといて出場を果たした。
横浜FCに2005年に契約してから今年で15年目になる。
先日53歳6か月でJ1最年長出場記録を更新したカズ。
いやキングカズ。
53歳でプロのサッカーの試合に出場する。
「カズがやるからなんだかスッと入ってきてしまうが、並みの人間ができることではない。頭では分かっていてもカズならできてしまう。」
これがカズがキングと言われる理由なのだろうか?
カズは過去のインタビューでこう答えている。
「自分でいうのもあれなんだけど、ボクは努力型だね。」
まさしく努力と継続の連続。
この2つがカズがキングと言われる理由なのだろう。
本人の言葉を借りると、カズは努力型。
そして継続型である。
野球でいえば、イチローも同じタイプと言えるだろう。
イチローはドラフト3位でオリックスに入団した。スタートは決して順風満帆ではないけれど、バットを振りつづけ、フォームを改善し続けた。
毎朝同じカレーを食べ、同じ時間にスタジアムに到着し、自分のルーティンをこなし続いてきた。
つまり日々の努力を継続してきた。そして日米で活躍する名実ともに名選手になった。
カズは対戦相手が誰であろうと手を抜いたり、わざと力を弱めたりはしない。
相手が高校生でも大学生でもそれは変わらない。
つねにまだやれる。俺はもっとうまくなれる。伸びしろがあると意識している。
試合中も、「あの技を試してみよう」
53歳の今でもそんな気持ちで試合に臨んでいるという。
自分から成長を止めないこともキングがキングたる理由だ。
そしてカズはボクの憧れだし、同じJリーグや世界で戦ってる現役日本人選手の憧れでもある。ブンデスリーガで活躍中の長谷部誠の目標はキングカズだという。
そしてカズが所属する横浜FCには、中村俊輔、松井大輔も所属している。
昔憧れていた選手と同じチームメイトとして戦える喜びははかりしれないものだろう。キングカズのレジェンドはまだまだ続いている。
大切なことなのでもう一度言っておこう。
カズがキングと言われる理由たった2つの理由とは・・・努力と継続の2つだ。
たった2つだけど、偉大な2つの理由だ。
ボクも含めこのたった2つを毎日できないから大変なのだ。
努力も継続も響きは簡単だが実際の行動は難しい。
仕事、プライベート、夢、・・・向かう先はなんでもいい。
一歩一歩進むことの大切さをキングカズは教えてくれる。
記事の最後はカズらしい言葉で締めることにする。
「やめないよ。」
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